なぞちゅうのはてなブログRX

30代の特撮好き。特撮以外も雑多に好き。好きなモノを好きな時に色々書くブログ

2018.2.26 芸術性と技術が可視化されること

 

平昌冬季オリンピックが終わった。

一番印象に残ったのはそだね~だろうか。

ただ今回は自分がたまたま

そういうのを見てしまった

のかもしれないが終わってから

いちゃもんではないが

これはいかがなものかという

苦言が多かったように思った。

 

まずフィギュア女子の採点&演技構成のこと。

得点が高くなる後半に演技をを集中させたこと

はルール上問題ないのだが、フィギュアを芸術

としてみたらそれはどうなのという意見も

確かに一理ある。

 

また男子ハーフパイプの金メダリスト

ショーンホワイトの演技が

誤審だったのではないかというニュース。

この2つはちょっとニュアンスというか

ルール上は問題ないけど、芸術性的にどうなの?

というのと

最終滑走だったから印象が良かったんじゃないの?

審判がちゃんと見てなかったんじゃないの?

 

と意味合いが違うのかもしれないが、

結果に疑問がつけられた点は同じだ。

 

技術をとるか芸術性をとるかは難しい。

競技には数値化出来るものと出来ないものがある。

ただ数字化された方が見ている方は解りやすい

というのはある。

 

ちなみに自分の好きな将棋は最近数値化されつつある

ことで面白さが増した。

最近将棋が面白くなったのはコンピューターによって

現在どっちが優勢なのかというのが可視化された

ことが大きいように思う。

 

 ちなみにそだねーカーリングもこういう

記事があった。

もぐもぐタイムとかよりもこういう記事が見たかった

にちょっと笑ってしまったが

見える化されると見えないものが見えてくる

好例だと思う。

 

競技後にに色々言いたくなるのはしょうがないのかも

だけど、やはり競技のその時のノリというか

その場の勢いみたいない可視化されない部分も

相応にしてあるし、それを終わってから色々いうのは

なにか違うような気がする。

 

それこそ、判定をAIとかにしたら正しいジャッジ

がくだされるのかもしれないがそれはそれこそ

その場の勢いとかノリが判定基準に含まれなくなる。

 

それが良いのかと言われると

個人的にはそういう曖昧さも残して欲しいなぁと

思わなくない。

 

とりあえず後から色々言うのはおかしいと思う。

 

なにか上手くまとまらなかったが今日はここまで。