なぞちゅうのはてなブログRX

30代の特撮好き。特撮以外も雑多に好き。好きなモノを好きな時に色々書くブログ

2019.12.03 才能(天才)を努力は超えられるかとかそんなお話

 

 

シロクマ先生のブログがはてブの

トップに上がっていたので

ちょっと前から考えていたことを

言語化というか文字にしてみようかなと。

 

そもそも才能ってなんだろうって

ことなんですけど、

将棋の羽生さんの言葉を毎回出して

あれなんですけど、

「才能とは同じ力で続けられること。」

と言っているんですが

まぁ当たり前なんだけど生まれながらの

個体差は絶対にあるわけですよ。

 

その生まれ持った才能は確かに

あるのだけども、

その才能が活かされる場所や事柄に

出会うかどうかは本当に

解かんないんですよね。

 

もしかしたら幼くして

見つかるかもしれないし

一生見つからないかもしれない。

 

100の力のある人に50の人が

追いつくには50の努力が

いるんだけども

その努力が実を結ぶかは

50の努力のやり方によって

変わってくるのかなぁと

思うんですよね。

 

間違ったやり方で50を

縮めようとしても縮まらない。

そこで正しいやり方がされて

いるかどうかを判断してくれる

人がいればいいのかもだけど

もちろんそれがいるかどうかも

ぶっちゃけ運ということになる。

 

才能ってそれこそ自分で

中々気がつけないものだから

実はどこかに才能が眠っている

と考えたほうが健康的というか

才能はないとばっさり切ってしまう

よりも良いような気がするんです。

 

何かしらの人より秀でたものは

見つけるというよりいつの間にか

見つかっているものなんじゃないかなぁ?

 

ちなみに気になっていた本をまだ

読めてはいないんですけど

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?

 

 こちらの本では一応

一流になるには才能よりも

努力であるという結論に

なっているみたいなんですよ。

 

努力に勝る天才なしって

言いますけど本当にそれですと。

 

自分も正直才能ないなぁと

思っているんだけど、

これだけは人よりも出来る

かなってものの片鱗を少しだけ

見つけられたから今やれてる

気がするんです。

 

才能の原石は誰でも既に

持っていてそれを輝かせるかは

磨き方次第ということでしょうか?

 

まぁ楽に努力出来たら良いんだけど

努力って大体キツイものなんでね。

キツイものをキツイよ〜って

言いながらやれるのが才能なんだと

自分は思います。

 

才能を努力は上回ることが出来る

正しい努力の仕方がきちんと

行われた場合に限っては。

が今のところ自分の考えですかね。

 

 

あんまりうまくまとめれなかった

けども、今日もとりとめのないこと

いつもより多めで書きました。

 

今日はこれまで。